元々は、専門学校の授業の題材として取り組まれたのがスタートということですが、敷地全体を使ったスケール感のある催しでした。
得月楼様と、どのように学生とコラボするかを話し合いました。30人の学生にミニ行灯のデザインと製作を担当してもらおうと考えていましたが、廊下を暗くして展示するくらいしかできないなと。建物全体を明るくすることは不可能だということを申し上げました。その時に、数年前から宮地電機がお手伝いしている田野町の「岡灯り」イベントについてご説明し、何の気なしに「あの300基の行灯を借りることができれば...この庭に置くことができたら...」とつぶやいたんです。すると松岡さんが、「田野町の町長は顔見知りだから借りられるようお願いしてみます」と仰って。その3日後には一緒に田野町に行き、企画のご説明が終わらぬうちに町長から「いいですよ」と快諾をいただきました。
田野町は、毎年得月楼で宴会をしてくださっています。田野町の酒蔵、濵川商店さんも毎年お酒のイベントをやってくださって、得月楼にとってはとても身近な町なんです。そのようなご縁もあり、今回は、食材やお酒も田野町さんとコラボして「宵闇料亭」を創り上げました。
高知県が誇る老舗ならではのエピソードですね。その岡灯りのイベントをベースにしながら創っていかれたのですか?
そうですね。まず、行灯30基を並べて、2回デモをやりました。1回目はチラシ用の撮影、2回目は懇意のお客様をお招きして、庭の灯りを見ながらのお食事を体験していただきました。いろいろと課題も見えてきましたが、それを解決すれば問題なく開催できると確信しました。
逆に、私は不安になりました(笑)。岡灯りは、庭園の灯りの演出だけを考えていましたが、今回はお食事をしながらということなので、室内の照明を工夫しなくてはなりません。夜間、室内が明るいと、ガラスに映り込みが生じて、外が見えないんです。最初にご提案したのは、廊下のあかりを消してルミナラ(LEDキャンドル)を置きませんかということでした。それでも効果が薄かったので、照明器具の電球を抜くなどして室内を暗くするよう調整しました。本番までドキドキハラハラの連続でした。
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暗い中でお食事をしていただくのは、初めてのことだったと思いますが抵抗はありませんでしたか?
菅野さんから『陰翳礼讃』をテーマにしましょうというお話がありました。日本人が暗がりに感じる美の感覚について書いた谷崎潤一郎の随筆です。150年を迎えた得月楼が、これからどんなコンセプトでやってゆくかを考えた時に、何をアピールするかといえば、歴史や建造物。それに、宮尾登美子先生が描いた「陽暉楼」や「鬼龍院花子の生涯」のイメージを取り込んでいくということ。創業当時は電灯がありませんでしたし、映画の画面も暗めです。そこに合致するものなので抵抗はなかったです。むしろ、それが独自性になると思いました。ライトアップではなく、ライトダウン。イルミネーション的なライトアップがたくさんある中で、この照明の企画は際立つなと思いました。
陰翳礼讃のお話をすると、松岡さんはすぐに図書館に行って本を数冊借りてこられました。その中に陰翳礼讃のイメージブックがあり、イサム・ノグチの照明器具が掲載されていたので、それを参考にして各部屋のベース照明にしました。食卓のメインのあかりは得月楼様オリジナルの立派な燭台がありましたので、そこにろうそくを灯しました。通常、このような歴史的建造物の中では、火は御法度です。この燭台を使いましょうと出してきてくださって、こちらが驚きました。
今はもう燭台を使う機会はなくなって、押入れの中にありました。これをまた使えることが嬉しかったです。我々がしっかりと火の管理をすればいいことですから、そこは演出優先で。今回は、照明に関してすべて宮地電機さんにおまかせしましたから、フルスイングでやっていただけるようにご協力させていただきました。
本当に、思いっきりやらせていただきました。岡灯りのイベントでは、岡御殿は一切火を使うことができなかったので、すべてLED電球を使った行灯でした。ですが、今回はお客様に近い場所の行灯はろうそくを灯して、本火のゆらめきを楽しんでいただくことができました。
いつもの得月楼とはまた違う、非日常的な空間でした。こうやってお話させていただいている間に、目が慣れて心地よくなってきました。
それが暗順応です。人は、20分~1時間かけてだんだん暗闇に目が慣れていきます。松岡さんはそれについても考えておられ、お客様が玄関から入って目がなじむまでの時間に工夫をされていました。
お食事が始まるまでに、得月楼や庭の灯りについて説明をしたり、館内にギャラリーを設けて学生たちが作ったミニ行灯を見ていただいたり、目が慣れるまで時間をとりました。けれど中には、不安に思われたり、視力に問題がある方もいらっしゃるかもしれません。お客様が「暗すぎる」とおっしゃった際のフォローも考えていました。
お客様の反応はいかがでしたか?
うれしいことに、苦言やクレームなどはまったく頂戴しておりません。「とてもよかった」「いつもと違う雰囲気で素敵だった」「また行きたい」と喜んでくださいました。
弊社発信のSNS、Facebookやinstagramにも多くの方々から「素晴らしかった!」や「次回は必ず行ってみたい」との反響がありました。「四国に照明文化を」のスローガンを持つ宮地電機としても手ごたえを感じました。
コロナ禍の中、人を癒やすイベントになりました。
大きな部屋にたくさんの人を集めるのではなく、得月楼ならではの個室でのお食事と、その室礼(しつらい)を楽しんでいただくという趣旨だったので、この状況下でも安全に開催することができました。
他のお部屋のざわめきが聞こえてきても、番頭の松岡様と担当の中居さんにしかお会いしませんでした。
得月楼の建築自体、どこに居ても誰とも目線が合わないようにできているんです。かつて土佐の要人たちが密会に使っていた場所として、そういう機能があります。
専門学校の学生さんとのコラボレーションは、いかがでしたか?
学生さんがすごく熱心でした。一生懸命な姿を見ることができてうれしかったです。学生さんたちのミニ行灯も、お客様に好評でした。魚影を映すというアイデアも新しくて、素晴らしいと思いました。
これはランプのまわりを実際に魚が泳いでいて、その魚影が投影されるようにできています。デザインしたのは魚が大好きな学生で、夜中に目が覚めた時、水槽に携帯のライトを当てて壁に魚影が映るのを見て閃いたそうです。我々のように照明に携わっている者には、絶対できない発想です。
松岡様ご自身は、照明について何か意識が変わりましたか?
光って重要だなと思いました。現在の照明は、1950年に建て替えた時の設備だと思いますが、明るすぎると思います。明るいのが良しとされていた時代だと思いますが、今回のイベントで、得月楼に合っているのは色温度の低いあかりだと感じました。
当時はものすごくモダンで、ハイカラで、憧れの的だったと思います。
商談など明るい光が必要なシーンもありますから、将来的には、調光・調色ができる照明に変えてゆきたいですね。
宮地電機に対するイメージは変わりましたか?
私がマスコミの仕事をしていた頃に、LaVitaさんのクリスマスディスプレイの取材に行きました。その他はご縁がなく、どんな会社かは深く存じませんでした。このイベントを通して、とてもしっかりした会社だと思いました。反応が早く、フォローもしっかりしていました。テンポがいいのでやりやすかったです。
松岡さんは、ご相談するとその都度、瞬時に判断してくださいます。そしてその決断については社内をまとめて、我々がやりやすいように調整してくださいました。私たちが途中段階で100%の答えを出せなかった時に「この明かりが一つあった方がいいのか、ない方がいいのか、それは現場に行ってみないとわからない。現場で調整をさせてください」とお願いしたら「どうぞどうぞ」と仰って‥。最後まで思いっきりやらせていただいたことがとても気持ちよかったです。私にとっても、残る仕事になりました。
ここは、古いだけのお店と思われてはいけないと思っています。歴史、盆梅だけではなく、200周年に向けて、わかりやすいキャッチーな魅力を作っていかなくてはなりません。そのためには、ここに閉じこもっていては何も生まれません。いろいろな人と話をしながら、得月楼の価値について考えてゆきたいと思います。
■ギャラリー
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『陰翳礼讃』(いんえいらいさん) 谷崎潤一郎
戦後の日本は可能な限り部屋の隅々まで明るくし、陰翳を消す事に執着したが、いにしえの日本ではむしろ陰翳を認め、それを利用することで陰翳の中でこそ映える芸術を作り上げたのであり、それこそが日本古来の美意識・美学の特徴だと主張する。こうした主張のもと、建築、照明、紙、食器、食べ物、化粧、能や歌舞伎の衣装の色彩など、多岐にわたって陰翳の考察がなされている。この随筆は、日本的なデザインを考える上で注目され、国内だけでなく、戦後翻訳されて以降、海外の知識人や映画人にも影響を与えている。
■取材先
料亭 得月楼 〒780-0833 高知県高知市南はりまや町1丁目17番3号
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【インタビュー・文章】深田美佳 【写真】釣井泰輔「ツルイスタジオ」【取材日】2020.12.14